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第5回北海道淡水魚保護フォーラム

渡邉 綱男 (わたなべ つなお)
 環境省自然環境局東北海道地区自然保護事務所長

1.新・生物多様性国家戦略と自然再生

 明治以降、100年あまりの近代化、とりわけ戦後およそ50年の歴史の中で、経済や便利さを飛躍的に向上させた反面、国土の風景を貧弱にし、生態系を破壊して、地域固有の数多くの生物を絶滅の危機に追いやってきたことも否めない事実である。豊かな生物を育む干潟は戦後50年間で約4割も減少し、自然林は国土の2割を切っている。既に102種の動植物が絶滅し、脊椎動物や高等植物の2割以上が絶滅の危機に瀕している。日本の人口はまもなく減少に転じ、一方で都市への集中は続くと予測され、社会経済は成長から安定化に向かっている。里山や干潟などの身近な自然、安全な水や食料などに対する関心も急速に高まるなど、時代が大きな変曲点に差し掛かっている。数十年後を見据えながら、国土の使い方や人と自然との関わり方について見直しをすべき時を迎えている。こうした認識のもとに、「生物多様性」を豊かな生活・文化・精神に欠かすことのできない要素ととらえ、新しい国家戦略をつくった。
 まず今日、直面する問題点を3つの危機として整理した。
○第1の危機は、開発や乱獲などの人間活動が生物種の減少や絶滅、生態系の破壊や分断を引き起こしているもの。依然最大の影響要因である。昨年絶滅した日本産のトキはこの典型的な例と言える。脆弱な湿地や河川をはじめ水域生態系の減少・劣化が著しい。
○第2の危機は、逆に自然に対する人間の働きかけが減っていくことによる影響。薪炭材、肥料、家畜飼料など、多くの利用価値を持っていた里山の二次林や草原は、石油や化学肥料などの登場で利用がされずに放置されることになった。里山は二次林や農地、ため池などの変化に富んだ自然環境をもち、長い間、適度な人手が入ることで生態系のバランスを保ってきたが、人間が干渉しなくなり、一方で人工的な整備が加わることによってバランスが崩れ、メダカやカタクリのように、この地域特有の身近な生物の多くが絶滅の危機にある。
○第3の危機は、ブラックバスやアライグマなどの外来種や環境ホルモンなどの化学物質が、地域固有の生物や生態系に及ぼす影響。人の流れや物流の飛躍的増大に伴って影響の拡大が強く懸念される。
 これら3つの危機の現状を踏まえて、施策の基本方向として、まず、原生自然や貴重種に限らずに奥山、里山から都市まで、そして海を含めた国土全体に施策の対象を拡大すること、そして、第1に絶滅、生態系の劣化、外来種問題等への対応としての「保全の強化」、第2に保全に加えて「失われた自然の再生・修復」、第3に里山など人の生活・生産活動域での「持続可能な利用」、といった3つの柱で施策を進めていくこと、そのことによって国土全体の生物多様性の質を向上させる方向に転じること、それらを地域社会を構成するすべての関係者の参加によって五十年、百年がかりという長期的視点で進めることを掲げた。こうした大きな方向を受けて、これまでの一方的な自然の破壊や収奪といった関わり方を転換し、人間の側からの貢献によって傷ついた生態系の回復を促していく、その第一歩として自然再生事業を提案した。そして釧路湿原での取り組みを、全国の先駆けとして位置づけた。


2.釧路湿原の消失・劣化の進行

 釧路湿原を取り巻く社会情勢が時代を追って変化していく中で、湿原周辺部における宅地開発や農地造成に伴い、湿原の直接的な改変が進行し、湿原面積は戦後50年間で約2割も減少した。加えて 、湿原に流入する河川の直線化や排水路整備が行われ、また周辺の丘陵地では森林が伐採され、荒廃地や人工林も拡大した。これらの行為は河川や森林自体の自然環境の質を低下させると同時に、湿原に対しては地下水位の低下、土砂や栄養塩の流入をもたらし、数千年の歳月をかけて形成されてきた湿原の土台、泥炭を劣化させ、その結果、ヨシを主体とする湿原内でハンノキやヤナギなどの樹林が近年加速度的に拡大している。こうした湿原の消失や劣化は、タンチョウのほか、氷河時代の遺存種キタサンショウウオ、日本最大の淡水魚イトウなど、湿原を代表する生物の生息状況を悪化させている。道東で100羽あまりと絶滅が危惧されるシマフクロウも1970年代以降湿原周辺から姿を消した。湿原内に位置する湖沼も流域からの影響を受けて、水質の悪化、水生植物の減少が著しい。マリモも激減した。湿原と河川、湖沼、森林が一体となった生態系の質が損なわれている。国立公園指定で湿原の保護施策は前進したが、流域の末端に位置するために周辺からの影響を受けて湿原とそこに生息する野生生物の状況は今も悪化が進行している。


3.自然再生釧路方式

 今、何も手を打たなければ湿原の消失・劣化はさらに進む。こうした危機感が背景となって、北海道開発局河川部局の呼びかけで検討委員会が設置され、湿原の悪化を食い止め回復に転じるための提言が2001年にまとめられた。湿原の質が大きく変容する前のラムサール条約登録当時(1980年)の状態に回復することを長期的な目標とし、当面の目標として2000年時点の状況からさらに悪化しないようにすることを掲げた。そして、水辺林や土砂調整地による土砂流入の防止、荒廃した丘陵地での植林、湿原の再生、蛇行する河川への復元など、12項目にわたる施策を提案し、湿原に関わるすべての機関、主体に行動を起こすよう呼びかけた。環境省も国立公園や野生生物保護行政を一層強化するという考え方に立って、2002年度から釧路湿原の自然再生事業に着手した。その際、自然再生の考え方や進め方の枠組み(釧路方式)について図1のように整理した。
 自然を壊すことはたやすいが、回復するには多くのコストと時間がかかり、また完全に元の自然に戻すことはできない。そのため、湿原流域において今ある良好な自然の保全を優先し、加えて周辺で傷ついた自然の再生、修復を進めて、健全な湿原生態系を取り戻すという考え方を重視している。
 湿原のおよそ十数倍の面積の流域全体からの水によって湿原は支えられている一方、流域内の人間活動に伴う土砂や栄養塩の流入などの影響を強く受けている。このため自然再生は流域全体で考えなければ完結しない。時間がかかっても流域全体における人間活動をより環境に配慮したものに変えていくための取り組みを進める必要がある。上流から下流へのつながり、そして森-川-湿原一体の生態系の質を高めるという視点が欠かせない。湿原を代表する生物であるイトウの保護・回復のためにも、河畔林に覆われた上流域から湿原の中を蛇行する中・下流部まで、河川とその集水域全体の自然の質を上げていくことが必要と考えられる。
 こうした流域の視点を常に持ちつつ、湿原の悪化に密接な関わりを持つ湿原周辺部(バッファーゾーン)から、地域特性に応じたテーマを設けて、パイロット的な実験事業を開始している(図2)。その成果を評価しながら取り組みを流域全体に広げていく。このことは流域住民の関心を喚起し、自然再生への合意形成と環境に配慮した行動を促す、という意味からも重要である。
 自然再生は、道路やダムのように「もの」をつくる従来の公共事業と異なり、自然に対する悪影響を丁寧にひとつひとつ取り除くことによって、自然が自らの力で時間をかけて回復することを手助けするものである。設計図どおりに「もの」をつくれば完成というわけにはいかない。具体的な事例もあげながら、釧路湿原における自然再生の進め方や考え方について紹介することにしたい。


「北海道・淡水魚保護フォーラム No.5
 「川の環境と魚の豊かさ」(2004年7月11日、釧路市) 講演要旨
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